西原理恵子さん毒親判明でSNSが凍りついた件の日本語分析
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今回学ぶ記事 「毎日かあさん」西原理恵子さんの娘による”毒親告発”で、日本の子育てSNS界隈が凍りついた件 - All About NEWS
目次
対象記事の構成
起
冒頭から1ページ目いっぱいまで
西原理恵子さんの立ち位置を立派な賞を取ったすごい人だと定め、その影響力を示唆する。同時に、彼女が上り詰めるための"ネタ"にしてきた娘との関係がかなりこじれていた事実が書かれた「娘本人の」ブログに触れ、彼女の地位は娘の犠牲の上にあったのではないかという本事案の衝撃を端的に伝える。
感想
事案が事案なだけに、背景を丁寧に説明するだけで、読者の興味を惹くことができる。書き手が粘り強く丁寧に説明することが大事なのだろう。その際、西原理恵子さんが社会の表舞台で大活躍されていること、娘さんをネタにした作品で成り上がったことをピックアップしたことが、説明を簡潔で魅力的なものにしたと感じる。余計なことは書かない。
読者が食いつくのは意外性。特に幸福な他人が不幸だったという意外性は、ゴシップの鉄板のネタ。 「素敵な親子関係をアピって成り上がったすごい人が、実は子供とうまくいっていなかった」というストーリーを説明し切れれば、導入部分として書き手は仕事をしたことになる。
ボキャブラリー
- 唯一にして無二の巨星・・・これから不幸になる人をまずはあげておくためのワード。
- リリカル・・・情緒に満ちている様。「マジカル」みたいな語感がかわいい。
- 国民的整形外科医・・・主役の恋人の肩書。これも巨星と同じ効果を持つ。
承
2ページ冒頭の「西原理恵子さんという作家は、無礼と無頼を」から 3ページ「SNS上での一大ジャンルとなったのである。」まで
クロニクルな書き方(時間に沿った説明)に変わっている部分を「承」とした。
学歴、卒業後の作風、結婚やDVといったプライベートの苦労などを説明し、その中で本事案と直接関係する「毎日かあさん」の作家本人にとっての位置づけを記す。「毎日かあさん」が当時の人々や出版社そして現代のSNSに与えてきた影響を書く。このなかで、現代のSNSへの影響、すなわち「子育てというジャンル」の成立に一役買っていることを述べる。
感想
デビューから本事案に至るまでの背景説明が、これも必要十分な量がわかりやすく記載されている。さりげなく、「国民的かあさん」として「崇拝」されるようになったと氏を称揚してあるのも、その後の氏に降りかかる不幸で読者を喜ばせる工夫であろう。
実際、「承」の半分を、「国民的」になり「崇拝」の対象になった背景説明に費やしている。通時的な事実説明であるような体裁をとりつつも、しっかりと読者を盛り上げる工夫がなされている。さらに、その「さりげなさ」もプロの書き手の技術なのだろう。あまりにあからさまに盛り上げにいっては、逆に読者は冷めてしまう。
ボキャブラリー
- 無礼と無頼を信条とする作家・・・ヤクザな感じの雰囲気を持つ作家くらいな語感がある。無礼や無頼についての詳しいエピソードは特に語られないので、荒くれ者というムードを醸すための小道具として使われている?
転
3ページ 「だから「ぴよ美」ちゃんの告発がネット上で」 から 最終ページ直前まで
ここから共時的な説明(ここでは現在の状況を切り取った説明)に変わる。40%ほどをネットの批判的な反応に割き、残りを作家には影の部分はつきものだという、氏へのフォローに割いてある。ただし、フォローは作家全般に当てはまる一般論であるため、氏を強く擁護するものにはなっていない。
感想
本記事を読み進んだ読者が、最もカタルシスを味わうのはこの部分であろう。実際、「だから「ぴよ美」ちゃんの告発がネット上で騒がれた途端・・・」という書き出しは、驚くべき事件が起きたのだということをストレートに読者に伝えるわかりやすい信号になっている。プロ中のプロの書き手であれば、やや安直な書き方だと思うのかも知れないが、ネットメディアではこの分かりやすさが大切なのだろうし、本記事の書き手はあえてこのベタベタな表現を選んだはずだ。対象読者が違和感を感じないのならば、ベタでわかりやすいことに何の問題もないはずだ。
SNSの批判的な反応を中和するために、作家一般に当てはまるフォローを持ってきたことにも感心させられた。中立的な印象を持たせるために、肯定と否定の両方を併記するという手法は当然としても、もしここで西原理恵子さんならではの特性を用いてフォローをしていたら「西原理恵子を擁護するとはけしからん」と炎上する記事になってしまったかもしれない。(炎上マーケティングが戦場ではない)書き手としては、ミイラ取りがミイラになるのは避けたいところだろう。
Dr. 高須と一緒になれて「私、やっと幸せになれたよ」という氏の述懐を書いた所で、書き手は「やばい、西原理恵子擁護だと思われて叩かれるかも」と思って、慌ててその後の作家は狂人という一般論を書き足したのかもしれない。
いずれにせよ、ここで一般論を持ち出すことで、西原理恵子さんと絶妙な距離を取ることに書き手は成功している。
ボキャブラリー
結
最終ページ
作家の子供が傷ついたことを、SNSと絡めて書く。今後のSNSについての著者の見通しを書いて締める。
感想
「だが、ふと気づく」「ようやく気づくのである」といったややベタなフレーズで結論にもっていく。高校の現代文の授業で「作者が主張を述べる箇所」だと覚えさせられるようなフレーズなのかもしれない(私は現代文の時間は早弁していたので覚えていない)。率直に言うと、ちょっとこのベタベタな感じは個人的には違和感を持った。だが、ここまで書き手はかなり丁寧に書いてきたわけだし、多少失速するのはやむを得ないのだろう。それに、もう最終ページなのだし。
それよりも目を見張ったのは「子供が親にその成長をSNSに投稿されない自由」ということが議論される未来を提案した最後のセンテンスだ。ネタがネタだけに、ちょっと上品なムードをまとったタブロイド記事という位置づけなのかと思っていたが、実は、親子のドロドロを明るみに出すという、品があるとは言えない事案で読者を釣っておいて、書き手の持つ高尚な社会的な主張をするための記事だったというわけである。上品なことを上品に、そして難しく書いて涼しい顔をしているアカデミアの文章に辟易している私にとって、このようなスタイルを知ることができたのは発見だった。
これは個人的な意見だが「結」を丁寧に仕上げる時間が無かったのではないだろうか。「展」までの品質が突然落ちているからだ。あるいは、書き手にとってどうでも良いパーツだったのかもしれない。書き手としては「現場からは以上です」で終わらせたいくらいの気持ちだったのか。だが、それで良いのである。最終ページを開いてくれた時点で、書き手としては完封勝利をおさめたわけだから。
全体を通じての感想
- 背景説明がしっかりとなされているので、事案の説明が自然な流れで理解できる。
- 面倒がらずに背景を丁寧に説明することで、西原理恵子さんをよく知らない読者でもリタイアせずに最後まで読み切る確率が高まりそう
- 誰も褒めない貶さない
学び
- 不幸を話題にする場合、最初に称賛しておくほど盛り上がる
- 共時的な書き方と通時的な書き方を使い分ける
- 客観的な書きぶりの中に、さりげなく読者の心理を操る要素を混ぜておく
- 書き手と読者の知恵比べという意味で、ミステリー小説に通じる部分がある
- 炎上に近づく場合、書き手の立ち位置の設定が超重要。火の粉がギリギリ飛んでこないくらいの場所を見つける。
- 一般論での擁護は便利
- web記事であれば、多少失速するのはやむを得ない
- 「現場からは以上です」くらいの軽いノリでも良い
- 作家を狂人と書いても燃えない
分析時間1時間くらい 執筆時間1.5hourくらい